65 お月見

65 お月見

 「十五夜さんをくんな」

 お月見の夜、あたりが暗くなると待ちかねたように、子供たちの賑(にぎ)やかな声が聞こえてきました。
 九月十五日、村の家々では、すすきを十五本一升びんに差して飾り、だんごやさつま芋などを箕(み)にのせて、お月さまに供えました。

 お月見の夜七時ごろになると、子供たちは誘い合い、近所の家にお供えをもらいに歩きます。
 家々では、お供えを縁側の戸を開けて飾り、子供たちが来ると快よく、紙にくるんで分けてあげました。
 お供えは、ほとんど畑でとれたものや家で作ったものでした。ですから、店で買ったせんべいやまんじゅうなどのお菓子は最高のものです。その、お菓子をもらえる家は子供たちに人気があって、お供えはすぐなくなってしまいます。あまり来すぎても困りますから、雨戸を閉(し)めましたが、大声でもらいにこられるので、しらばっくれているわけにはいきません。

 子供たちは、五、六人から十人くらいの集団で来ます。みな小学校二、三年の低学年で、高学年の子がもらいに行くと笑われます。子供たちは、翌日学校で「どこどこまで回った」と自慢し合ったものです。

 十五夜をした家では、片見月は縁起(えんぎ)が悪いといって、必ず十三夜(十月十三日)をしました。この日は、すすきを十三本、家でとれた柿や栗などを供えます。子供たちは夜になると「十三夜さんをくんな」と、近所の家々にお供えをもらいに歩きます。

 この、楽しいお月見の行事は、昭和二十年頃までつづいていたそうです。
(p142~143)